幸福感や希望が無くても生きていける社会

「希望だけない国、日本」
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20091107/1257558516

 上記エントリーでは、OECDによる主観的幸福度の国別調査において、日本が希望も幸福感も無い国であることが書かれている。具体的には、日本で幸福感を持っているのは、35パーセント前後、将来に対して希望を持っているのが、40パーセント弱である。この数値は、主要先進国の中では最下位であり、発展途上国と比較しても、日本は希望の面で遥かに低い。これを見てどのような感想を浮かべるだろうか。おそらく日本の現状を嘆く人々が大半であろうと予測する。だが、一方で心の中では安心感を覚えた人も少なくないと思う。「ああ、不幸なのは私だけじゃなかったんだ」と。私も恥ずかしながら、その一人だ*1

 OECDによると、日本と対照的にデンマークではおよそ9割の人が未来に対する希望があり、同じく9割の人が幸福感を持っているという。デンマークのことはよく知らないが、きっと政治的・社会的・経済的にある程度安定しているのだと推測できる。しかし、このような社会において、幸福は一つの人間の主観的状態にもかかわらず、当為となる可能性を持っていないか。つまり、人間は幸福であるべき、という思考が埋め込まれていないか。

 そのような状態にあるとき、残りの10パーセントの不幸な人々の生きづらさは、日本の60パーセントの不幸な人々よりも遥かに大きいと予測できる。40年前、アメリカの社会学者であるロバート・マートン相対的剥奪という概念を提示した。マートンは、高い教育を受けた兵士ほど、昇進しなかった場合に不満を多く持つと述べている。つまり、当然手に入るだろうと予測されるものが、手に入らないときに最も剥奪感が生まれる。これが相対的剥奪感の骨子である。

 この理論を上記事実に援用するならば、周りに幸せな人が多ければ多いほど、自分が不幸だった場合の剥奪感は大きくなってしまうといえる。幸福感を持っている人が多い社会では、幸福は誰にでも手に入るものと認識され易いからだ。しかし、現在の日本においては、幸福はもはや誰にでも手に入るものと認識されているとは思えない。

 日本社会では、幸福という概念が急速にゾンビ化しつつある。家族はもう誰にでも手に入るものではなくなった。家族を持ったとしても、果たして現在の収入で養っていけるだろうか。現在の仕事を定年まで続けることができるだろうか。また、安定した仕事にきちんと就くことができるのだろうか。つまり、過去において幸福を構成する要素だったものが、今はすべてリスクに置き換えられてしまっている。幸福はリスクであり、もはや一部のリスクを賭けれる人のみのものである。そういった意味では、日本社会における幸福は、もはや当為ではなく、神話となりつつある。したがって、日本人が感じる相対的な剥奪感も非常に少ないと仮定できる。幸福は誰にでも手に入るものではないのだから。

 問題は、幸福や希望が神話であったとしても、生きていける社会は是か非か、ということである。確かに日本の自殺率は非常に高い数値を示しているが、幸福度の高いフィンランドも日本並に高いことを見ると、日本には相対的に不幸でも生きていける環境があるといえる。ある種の脅迫的な青い鳥症候群に国民全体がかかっているよりは、健全のように思えるし、私自身、幸福でなくても生きていける社会の方が望ましいのではないか、と考えている。もちろん、経済的・政治的・文化的に今の日本が望ましい状態とは全くいえない。だが、価値観の問題とするならば、一つの「幸せ」な平準化された人生モデルというゾンビカテゴリーからの脱却の良いチャンスには違いないと思う。

 僕たちは幸せになるため この旅路を行くんだ 浜崎あゆみ『Voyage』
 僕らはきっと 幸せになるために 生まれて来たんだって 浜崎あゆみ『immature』
 この世に生まれてきた 幸せになるために Sowel『幸せのちから

*1:いや、もしかしたら、こんな卑小な考え方をするのは私だけかもしれません。一般化してすみません

サマーソニック2009が素晴らしかった件

 夏フェスと呼ばれる、いわゆるミュージシャンをごった煮集めた野外コンサートが開催される季節になってきた。現況の音楽業界は、どうやらミュージシャンにとっては明るくない話ばかりだ。配信中心でCDは売れないし、そのような情況の中、唯一明るい話題といえば、音楽フェスが好調ということだ。負の関数を歩んでいる音楽業界で、唯一正の関数を刻んでいる。動員数やフェスの開催数共に上昇しているのである。
 さて、その中で二強と呼ばれるのは、フジロックサマーソニックであるというのは異論はないだろう。その動員人数もさることながら、洋楽中心としたフェスであるため、面子も豪華であり、希少性も高い。
 この二つの違いと言えば、都市型か郊外型か、であると言える。フジロックは新潟の苗場スキー場で開催され、場所的に不便なため、交通費が馬鹿にならない。一方、サマーソニックは千葉と大阪の二箇所で開催されるため、交通の便が良く、トータルのコストで考えるとチケット代+アルファが少ない。したがって、郊外型のフジロックは資金的な面で大人向けのフェスで、またメンツもJAZZ、ロック、ソウルなど非常にクロスオーバーであるのに対して、都市型のサマーソニックは、若者向けであり、敷居も低く、ロック中心のフェスというイメージがあった。
 というわけで、近年はもう若くもなく、フジロックに移行しつつあったが、ひょんなことから、4年ぶりにサマーソニックの方に参加してみた。目当ては、Nine Inch NailsMewPlacebo、Thin Thinsなど・・・。
 行ってみたら、意外とメンツが幅広く、オーディエンスのマナーも以前に比べ格段と良くなっており、非常に楽しい二日間となった。なんせ悪いアクトが見つからない、と言うのは今までのフェスの中では初めてだった。上記の都市型、郊外型のイメージも覆す必要があるだろう。

○1日目(8月8日土曜日大阪)
ステレオポニー
 客の入りは、まばら。10分の1埋まっているかどうか。屋内ステージであるSONIC STAGEの前座。3ピースのガールズバンドで全員10代。時間が押していたので、貴重なリハーサル現場を見ることができた。リハーサルのときは、3人の緊張具合が見るほうにも伝わってきて、こちらまでどちらかと言うと保護者的な感覚で心配してしまった。
 しかし、流石はプロ。本番に入ると、堂々と3曲熱唱した。ボーカルの子は声も出ていたし、ギターも上手かった。何よりもルックスが良いので、これから10年続けていけば、人気が出そうなバンドである。

・Red Light Company
 野外ステージであるPark Stageで11時からスタート。イギリスの新人バンドで5人組。ニューウェーブ的なサウンドとボーカルが特徴的。パフォーマンスもよく、細身、長髪ボーカルのサービス精神には参った。客席まで降りてきて、駆け抜けてくれた。また、個人的に握手してもらったので、好印象。ぜひ、また来日してライブを見たいバンド。

・The Big Pink
 Park Stageで12時からスタート。こちらもイギリス。適度にサイケデリックで、恐らく室内向きのバンドで、残念ながら不健康な音楽と、雲ひとつない晴天は全くもってミスマッチだった。室内ステージで、音が分散しない環境で、轟音を聞きたかった。

65daysofstatic
 今年の個人的な目玉1。演奏は噂に違わず、アグレッシブ。但し、PAのせいかこのバンドの魅力が十分に発揮できていなかったように思う。ギターが轟音をかき鳴らし、その音の洪水の上に抜けの良いシンセ、ピアノが軽々と流れる音楽、これこそがこのバンドの魅力だと思うのだが、ライブではギターの洪水に流されてしまい、ピアノとシンセの音が埋もれてしまっていた。この点で不満が残る。

Mew
 今年の個人的な目玉2。デンマークのロックバンド。プログレ的な音展開と中世的なボーカルの性質が魅力。
 ボーカルは相変わらず音程を外していたが、曲が進むにつれて、調子が良くなっていった。スロースターターか。
 映像を使った演出は秀逸で、幻想的な曲世界とリンクしていた。最後まで聞きたかったが、Zookeeper boysの後、Nine Inch Nailsがあるため、脱出。

Nine inch nails
 人間ターミネーター。相変わらず凄い。某匿名掲示板で書かれていたが、「ライブ自体がハリウッド映画」と言うのは言いえて妙。トレント・レズナーありがとう。復活待ってます。

Kasabian
 Club Footは盛り上がるよね〜でもトリって器じゃない気がする。でも、KasabianのTシャツ着てる子が多かったから、人気あるんだろうな〜。

トウキョウ・リアル(Tokyo Real)

Tokyo Real トウキョウ・リアル 完全版 [DVD]

Tokyo Real トウキョウ・リアル 完全版 [DVD]

 著名な携帯小説の映画化らしい。原作も未読な上に、携帯小説そのものも読んだことのない素人にとっては、未知な作品だが、ある意味で期待を裏切ってくれた。

 ストーリーは、女子高生アヤがレイプされ、ドラッグ中毒になり、そして最後に付き合っている彼氏にドラッグが見つかってしまい、独りになってしまう。かなり単純化しているが、さほど差し支えは無いように思える。

 プロット自体は、良くある「リアル」を大切にする携帯小説のイメージを地で行くものだったので、先が読める展開だった。しかし、その表現の仕方が面白い。まるでカメラワークがアヤの私生活を盗撮しているかのような、剥き出しの映像。そこには映画的な手法や編集がまるで行われていないかのような錯覚に陥る。つまり、物語を見ているというよりも、むしろ盗撮映像を観ている気にさせる。
 ケンジとのデートシーンではそれが顕著である。デートに遅れたケンジに対し、アヤが「遅い〜」と詰るシーンなのだが、聴衆は6分にわたり、意味のないカップルの会話を聞かされる。その意味のなさが、聴衆をなんとも居心地の悪いものにしてしまう。なぜなら、それはおよそ一般化されうる街中に溢れている他人の会話だからである。他者の会話は当人たちにとっては意味を持っていても、その関係性の枠外に居る人々にとってはノイズに過ぎない。そのノイズが焦点化されているわけだから、われわれは何か背徳的なものを感じてしまう。
 このノイズを描いた点で、この作品は優れているのではないかと思う。物語的にリアリティがあるかないかはともかく、こういったノイズが街中に溢れていることを常に実感している点で、表現方法においてリアリティがある。記号化されたセンセーショナルな事件(ドラッグ、レイプ)が羅列される作品においては皮肉ではあるけれども。

「男性に勘違いされやすい女性」

 久々に胸を抉られるようなエントリー。
http://d.hatena.ne.jp/more_white/20090418/1240056258

 直接の文脈とは関係ないけれど、私が近年最も違和感を感じている事柄を思い出した。それは多分何処にでも居そうな、男性に勘違いされやすい女性についてである。男性に勘違いされやすい女性は、男性に「こいつ俺に気があるんじゃないか?」と思われ易い女性で、直接の関係が無い男性の視点から見れば「無防備な女性」として認識されている。
 そんな彼女に「私って男性に勘違いされやすいみたい。どこか直したほうが良いのかなぁ」と言われたらどう答えるだろうか。一つの回答として、「それは勘違いした男の方が悪いよ。君は今のままで良いよ」的な彼女の人格を尊重し、肯定する方法があるだろう。この方法は、彼女の自尊心を満足させることができるだろうが、行為の現状維持をも肯定するため、これからも彼女は勘違いされて、苦しむことになるため、根本的な解決にはならない。
 そう思っていた私は、大体次のように答えていた。

「君のこの行為(例えば、過度なボディタッチなど)は一般的に男性に好意を持っていると思われることなんだ。だから、君がこれ以上勘違いされたくなかったら、そのような行為は一切合切止めるべきだ。」

 これは、一見尤もらしく、しかも実効性を伴う点で妥当なアドバイスであるように感じられた。しかし、同時に言語化できない違和感も感じていた。なんで、彼女は辛い思いをしてきたのにも関らず、私は彼女に更に辛く当たっているのだろうか、と。

電車が空いていても、電車の外でも、痴漢は居る。露出していなくても、繁華街を通らなくても、強姦は起きる。自衛していたって、落ち度なんかなくたって、起きる時は起きるのだ。

 more_whiteさんの体験から導かれた経験則はそうした違和感を若干解消してくれた。そう、起きるときは起きる。たとえ勘違いさせる行動をしなかったとしても、ある行為を男が解釈して勘違いすることだってある。どんな行為が勘違いさせたのかは本当のところは分からないのだ。にもかかわらず私は、過度なボディタッチが男を勘違いさせてきたのだと、決め付けて、すぐさま止めるように説得していたのである。
 つまり、この言い方は私が忌み嫌う言説と基本的に同じ穴の狢だったのだ。「女性が露出の高い服を着ているから、レイプに合うのだ」といった身勝手な男の論理。男の自制心の無さが犯罪を引き起こしたにも関らず、被害者の女性に責任を転移させる非情な論理。
 このような犯罪被害者に帰責性を求める言説は、私の行っていたアドバイスとかなりの部分一致していた。女性のある行為を、男性に勘違いさせる行為と決め付けて、彼女の行為特性を修正させるような、ある意味で暴力性を孕んだアドバイスであること。しかも、男性が(主体として)彼女の行為を解釈したにも関らず、彼女の勘違いさせた行為(客体)に対して、責任を負わせている意味で全く同じ構造である。

被害に遭わないように自衛しろ、なんて一方的にも程がある。もっと主張するべきことがあるだろう。

 そうなのだ。私が今までやってきたのは、身勝手で一方的なアドバイス。私も自制心の無い男と大差ない。私は、彼女の人格を軽視していた下衆ヤローだったのだ。
 しかし、次からは私は同じ質問にどのように答えれば良いのだろうか。今、私には適切なアドバイスが思いつかない。そして、自分が下衆ヤローでも良いから、大切に思っている人ほど、彼女の行為を制限したいと思うだろう。確かに起こるときは起こる。だが、その起こる確率を最小限にできるだけしてあげたい。問題はリスク計算に還元される。そこには「彼女のため」「彼女を被害者にさせないため」という大儀名文が存在するから、どんな暴力性のあることだって、厭わずにできるだろう。それは危険なことだって分かってる。でも他に方法が見つからない。
 あー、頭がこんがらがってきた……

今期アニメ感想

社会人になって、アニメ見る暇ないな〜と思ってたけど、意外と研修中は見れる感じ。なんで、論文書いてたときより、数見てるかもしれない。

 製作は京都アニメーション。本編はそこまで面白いか、ってかネットでの流行具合とギャップがある。一話だけではあんまりバンドやりたくなる感じにはならないなぁ。自分が何か新しいことをはじめるときって、意味論的な次元じゃなくて、圧倒的にすごいもの、何かわけがわからないけれどもすごいものを見たとき、言語化できない体感を経験したときが多い。自分の場合は、Underworldを生で見たときの興奮でシンセサイザーを買っちゃったみたいな。なんで、主人公が感じた「下手だけど楽しそう」ってのはあんまり楽器始める動機付けとしては、あまり共感できなかったのが大きい。
 内容はそこそこだけれど、足をやたら強調していたデッサンは生々しく、肉感的だった。後、OPとEDはMADっぽいけれども、とても躍動感に溢れていて、何度でも見たい感じ。

 高校生のマージャン部の話。けいおんが、陽の高校生活なら、こっちは陰の高校生活か。扱う題材が違うだけで、プロットは結構けいおんに似てたりする。何にも特技が無い女の子が無理やり誘われて、部活に入って才能を開花させるといったところは似てる。但し、こっちの主人公はマージャンが嫌いなだけで、家族マージャンで鍛えた腕、つまり必ず半荘でプラマイ0にするという神がかり的な技を持つ。最後、カンして2飜70符で上がり、強引に30000点ジャストに持ってきたところは、非常に面白かった。主人公の30000点ジャスト戦法が上手く設定として生きれば、面白い麻雀アニメになるんではないだろうか。これまで、萌え系の麻雀アニメは無かったしね。なぜか、麻雀の世界だけは三次元の萌え化が進んでたからなぁ。二階堂姉妹しかり、和田聡子しかり。

 セガの同名ゲームのアニメ化。OP曲は緩急のあるロックナンバーで及第点。ボーカルはカナダ人だとか。内容はいまいち頭に入ってこないなぁ。30分がやたら長く感じた。作画はとても綺麗だと思います。まぁ、次回見て詰まんなかったら、切。

 少年ジャンプで連載されていた漫画のアニメ化。ベタっちゃベタだけど、ジャンプらしくないというか、女性視点で進むのは珍しい。「何で私を好きになったの?」は結構ドキリとくるセリフだと思う。結構面白かったし、作画も原作をかなり再現できていた。視聴決定。

Michita / Three

Three

Three

 トラックメイカーMichitaの3rdアルバム。前回のアルバムTwoでは、全曲Feat.付で豪華だったんだけれども、今回はインストと半々。まぁ、トラックだけでも十分寂寥感溢れるどちらかといえばヒップホップというよりも、エレクトロニカに近いので鑑賞に堪えうるので、半々という選択は正しかったのかも知れない。
 ベストトラックはやはりMeisoとの楽曲である「クモリナキアメ」。Meisoの声質自体も個性的だし、リリックも過度に押し付けがましくなく、抽象的で心地よい。彼のソロシングル『自転車ep』もわざわざハワイのレコード会社から取り寄せてしまった。うん、自分はMichitaが好きっていうより、Meisoが好きなんだろうな、きっと。ソロアルバム出たら買います。

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 第一話

いつかガンダムは全部みなきゃなぁ、と思っていたところ、ちょうど時間ができたので、1週間かけて見れるだけ見てみようと思います。ちなみに、今までのガンダム暦は08MS小隊とターンAのみ。ガンダムWとSEEDは途中で挫折。

 まず最初にポケットの中の戦争から見てみることに。初代ガンダムを見てないのに、こちらから見るのも憚れるのだけれど、手元にあるのはこれだけなので、とりあえずあるものから。
 とりあえず一話を見た感覚としては、意外と面白くなりそうな気がする。主人公の少年アルの視点から見た戦争のミクロプロセスを丁寧に描く作品という解釈でよいのかな。多分、副題の「ポケットの中の戦争」というのもそういった意味が込められていると判断。派手さは無いけれども、堅実で地の足に着いた物語を見せてくれそう。
 アル君はやんちゃでモビルスーツ好きの男の子。学校でも、仲良し3人組とモビルスーツの話題で盛り上がります。それと対照的に女の子(ドロシー)は冷ややか。連邦軍モビルスーツは無いんだ、と強弁します。オープニングでジムの映像が流れていたので、実際に連邦にモビルスーツがあるわけですが、彼女は知らないのか、それとも認めたくない何かがあるのか。結局、口げんかではドロシーに勝てないので、証拠を求めにアル君は港で働く父親の元へ向かって、モビルスーツの写真を撮りたいと懇願しますが、当然結果は失敗。アル君は失意のなか、家に帰ります。だけど、人生嫌なことばかりは続かない。帰り道、地球に行っていた超美人のクリスさん(推定20歳ぐらい?)と再開。今は政府系の仕事についているそうですが、服装からし連邦軍パイロットか何かでしょうか。どうやらアル君の家の隣にすんでいるみたいなので、幼馴染のお姉さんといったところかな。翌朝、早速アル君は双眼鏡っぽいビデオカメラでクリスさんを盗撮していました。彼の将来がいろんな意味で心配です。
 学校へ着くと、なぜかこのコロニーにもモビルスーツが。一体のザクが撃墜され、森に逃げ込んだ模様。好奇心旺盛なアル君はそれを走って追いかけ、ザクに乗っていた一人のパイロットと出会うところで、一話が終了。
 おそらくこれから、この男のパイロットとクリスさんが恋に落ちていく展開なのかな。

↑太っちょのTシャツは何だ・・・歌舞伎か・・・