地位の非一貫性の辛さ

 ある会社で聞いた会話。
Aさん「36でまだ寮に住んでるんだって、課長」
Bさん「独身だもんねぇ、早く結婚すればいいのに、寮のみんなも気を使うじゃん」
Aさん「でもさ〜なんか結婚出来ない何かがあるんじゃないの。だってあんなに給料貰ってるのに結婚出来ないのはおかしいよ」

 この話は割りと一般的な良く聞く話である。会社では、30過ぎて結婚していないとあまりいい印象を持たれないようである。でも、なぜ結婚しないだけで、そこまで非難されなければならないのか、少し不思議に思うので、ちょっと社会的資源と絡めて考えてみた。
 社会的資源とは、
・富(どれだけ給料をもらえるか) 
・勢力(どれだけ影響力を与えているか) 
・威信(どれだけ凄いと思われるか) 
・知識・技能(読み書き能力や、特定の専門的能力)

の4つだとされている。この4つは社会的に皆が欲するものであり、希少性があるために価値があるものとされる。社会的な地位は、社会的資源の量によって測られてきた。

 もし、彼がニートであったなら、そこまで非難されることがあっただろうか。恐らく、他の倫理的問題について非難されようが、配偶者の有無については非難されないはずだ。なぜなら、配偶者を手に入れるための社会的資源が不足しているために、結婚していないことは、あくまで地位的な問題となる。彼は給料が少ないから、結婚出来ないのだと。つまり、問題は社会化される。
 だが上記の会話の例だと、企業に勤めており一定の収入、しかも普通の人よりも高い報酬を得ている。よって、配偶者を手に入れるために、すなわち手段として一定の社会的資源を保持していることになる。とすれば、彼は交換可能にもそれを手に入れていない、そうか、その社会的資源を打ち消す何かが彼にはあるはずなんだ、と問題が個人化される。
 ここに非一貫性の辛さがある。